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正田崇

事象地平戦線アーディティヤ本編の更新がここ数か月にわたり停滞気味であること、誠に申し訳ございません。非常に情けない話ではありますが、机に向かっても手が遅々として進まない、どうにか数十行書いても気に入らず消すという堂々巡りを繰り返し続けています。

このようなことは職業作家として言語道断だと重々承知しておりますが、自分の中で得体の知れぬ誰かがストップを掛けており、今のまま書くのは間違いであると訴えている気がしてならないのです。

平たく言えばスランプなのですが、単純なそれとも違うように感じる何か。

とある著名な作家はそんな状態に陥ったとき、こう仰っていました。

「これは産みの苦しみなのか死の苦しみなのか」

つまり自分がレベルアップの途上にあるのか、もしくは寿命が尽きているのか、その見極めすらままならない闇の中だということです。

勝手な理屈ですね。分かっています。お金を頂いている以上、たとえ死体となった作家による腐臭塗れの駄作であろうとお届けしなければなりませんし、結果辛辣な評価を受けることも責務です。

しかし、かといって開き直るのも違う。自分はもう死んでいるから仕方ない、などといった気持ちで書いてしまえば、駄作以前の不気味な遺書ポエムが出来あがる。

奇しくもアーディティヤの世界がそうであるように、ちゃんと死ねなくなるのです。

それは醜い。とてもみっともなくて、汚い。

だから自分は、死ぬのなら正しく死にたい。

そして、死にたくないから生きるための努力をしたい。

そう思い、ここしばらくの間、今までの自分と向き合う作業をしていました。

パラダイスロスト、ディエスイレ、神咒神威神楽、戦神館八命陣、万仙陣、インタビューウイズ・カズィクルベイ、黒白のアヴェスター。

こうして並べるとたった七つ。二十年かけてそれしか書けていないのかと呆れながら、その時々の技量はどんな程度だったのか、どんなノリだったのか、何を思い、何を求めて、どういう評価を得ていたのか。

そこに向き合うことが現状を打破する突破口になるのではと考え、シナリオデータを引っ張り出し、ネットの海を漁って当時の声を拾える限り掻き集め、読み耽っていました。

結果、気付いたことを作品ごとに少し語らせてください。

・パラダイスロスト

端的にとても稚拙。

文章力、構成力、演出力といった基本はもちろん、かなり堂々とパクリをやっている倫理観の無さ、これは商品でありお客様に見てもらうものであるという意識がほとんど見られない。ただの自慰であると言わざるを得ません。

しかし、だからこそと言うべきか、勢いだけは妙にある。もともとそんなに長い話ではないけれど、そこを差し引いても拙作の中で一番すらすら読める。いや酷い文章なのですが、誤用や文法的な不格好さがそれほど気にならない。喩えるならヤンキー語やギャル語がそうであるように、フィーリング重視の言語感覚が独特の味を生んでいるなと感じました。

前述した“お客様を見ていない”若さ、未熟さが、物語の勢いを生むという面では結果的に旨く機能しています。

特にノウ君まわりの話。

彼のなんとも情けない失敗、誤解、空回りの数々は概して不評であり、正田も奴が嫌いですが、ゆえにアストというヒロインが輝いている。

ノウ君に対する皆さんの憤りや呆れ、嘲笑、そして同情などの気持ちをアストも抱き、「なんだこの馬鹿は!」と苛々することで機械的だった彼女が人間っぽくなっていく描写の変遷は、今の自分から見てもよく出来ています。

実際、パラダイスロストの一番人気はアストでしょう。彼女を悪く言っている意見はほぼ見当たらず、「有能な悪役ヒロインが無能だけど善良な男に光落ちさせられる」という正田の得意技?の一つがここで生まれています。

後はまあ、ジューダスですね。こいつは本当にお客様を見ていない。当時の自分が好きなものを書き散らした結果、自由を重視するトリックスターのキャラが成立し、以降長い付き合いになる神座シリーズの核となったのは感慨深いです。

・ディエスイレ

今さら説明するまでもなく、自分にとって最大の失敗を複数回にわたって更新した怒りの日。

皆さんを巻き込んで洒落にならない阿鼻叫喚を何度も何度も何度も生んだというのに、おそらく未だに一番愛されているだろう呪われた孝行息子。

正田も含め、多くの人にとって親しみと憎しみの感情がごちゃ混ぜになっているこの不吉な聖遺物は、結局何だったのか。

作品としての性質を有り体に言うなら、「キャラの魅力に全振りしている外連味ハッタリの塊」です。

途中で大きな失敗を挟んだから、やり直す段階で自分の心理状態が変化し、完成までの時間も単純に長かったので、統一感という意味における物語的完成度は拙作でもっとも低い。

路線変更、設定変更、後付けの嵐、よく見りゃ矛盾の山・山・山!

そもそも第二次大戦のオカルト軍人部隊が日本の架空地方都市で魔術儀式をやります――て話が、なんで宇宙だ神だとかいうラストになるんだよ。

前半と後半は完全に別物であり、軌道修正に尺を割いてる中盤もあわせて、まったく違う話が繋げられていると言っても過言ではありません。

永劫回帰。未知が見たい。だから当初の決められた筋書きが変化していくのだよ。それこそがこの歌劇の正しい姿なのだよ。

なんてメルクリウスに言わせてるあたり、完全に確信犯(誤用)です。

そこに気付いていた読者様も結構いらっしゃり、にも拘わらず批判よりも苦笑で済ますという寛大な反応が多かったことは感謝に堪えません。

おそらく、前述した「キャラの魅力に全振りしている」面がそれを後押ししたのでしょう。

どんなに話が滅茶苦茶でも、キャラのパワーだけは凄まじい。だから許す。役者が良ければ芝居は至高――そんな気持ちが皆さんの中にあったのではと思います。

登場人物全員による熱量の総和(完成度ではない)において、未だにディエスイレを超えるものは作れていません。

・神咒神威神楽

ようやく文章がこなれてきて、あからさまな誤用や重複表現、文脈の破綻が少なくなっています。

それでも今見ると結構あるのですが、パラロスやディエスに比べれば大幅に改善されている。実際、「正田って文章うまいな」という有り難いお言葉をこの頃からぽつぽつ頂くようになりました。嬉しい。

だけど反面、勢いがなくなっている。

戦闘シーンが正田作品でもっともつまらん、というきついご意見があり、確かにそうだなと感じました。なんというか、文章の整合性を取ることに意識が向かいすぎてて、バトルの魅せかたがおざなりになっている。

剣術や格闘術の理合いを語っているときもあれば、勇気や根性という精神論で押し切っているときもある。それらが一つの戦闘で交互に出てくるケースさえあり、結局どういう強さを演出したいのか混乱を招くような書きかたです。

心技体は本来一つのものであるから複合的に描くのが正しく、実際そうするつもりだったのでしょうが、当時の自分にはできなかった。できていないことにすら気付いてなかった。そんな感じです。

また、物語としてもディエスの続編という面が強いため、この作品ならではのオリジナル要素が薄い。

ディエスの世界観に引っ張られた結果、天狗道という神座世界でも一・二を争うはずの地獄法則を描き切れていなかった。その異質さを、気持ち悪さを、皆さんに満足のいく形で味わっていただけなかった。

夜刀がいる限り天狗道は完成しないから、終盤までキャラや世界の異常性が顕在化しないのは当然。

加え、ラスボス波旬のカウンター存在である覇吐と竜胆が主役だから、仲間たちもまあまあ普通の人間になるのは当然。

なんていうのは理屈であり、天狗道を演出することに失敗している事実は変わりません。

もっと早い段階で異常さの片鱗を匂わせる手はあったんじゃないか。たとえ短いエピソードでも、読者の心に食い込ませることはできたんじゃないか。

今はそんな風に思います。

なので神咒は後悔と反省が多い作品ですが、気に入っているところも当然あります。

それは夜行というキャラクター。

彼は仲間の中にいるトリックスター。

いつも飄々として弱みを見せず、実際頭もいいし強い。

言わば司狼の代わりみたいな感じで作ったのですが、この手の有能キャラは敵だろうが味方だろうが精神的にはいつも勝つ。たとえ負けてもにやにや笑って望むものを手に入れる。だって有能なんだから――というのがそれまでの正田節でした。

事実夜行もずっとそんな風に描いていたのですが、最終盤になって強烈な挫折を味わい、どこか他人を見下している超然とした二枚目キャラの仮面を脱ぎ捨て、恥〇と怒りに絶叫します。そして再起し、覇吐たちと本当の意味で仲間になります。

こういう天才タイプが泥臭い形で成長する流れは拙作の中で例がなく、神咒のオリジナル要素と言えばコレになるでしょう。

・戦神館八命陣

神座シリーズとは異なる独立した物語。

先の神咒でオリジナル要素が薄かったリベンジをしたかったのでしょう。これは神座シリーズじゃありませんと発売前から雑誌やツイッターで何度も言っており、八命陣の作中でもディエスや神咒はゲーム作品という扱いです。

そういうパロネタがしつこいくらい挿まれているところからして、よっぽど差別化をしたかったんだなと思いました。

そして、どんなものが生まれたのか。

読み返してまず驚いたのは、「仲間たちがちゃんと仲間をしている」こと。

一般的にはそれが当たり前なんだけど、神座シリーズは違うのです。

蓮と司狼が典型例で、神座シリーズにおける主人公と仲間たちの関係はラスボスの呪いによって構築されている。

だからギスギスしてたり、殺し合う定めだったり、そもそも仲間と認めていなかったり、そんなのが基本です。

でも八命陣の主人公と仲間たちは違う。

神咒ではラストバトルの前になってようやく、下手をすればEDのときになんとか築けた関係性を、最序盤から持っている。それが陳腐な馴れ合いに映らないよう、真っ直ぐ仲間と向き合っている奴ばかり。

……まあ、水希が例外なんですが、そんな彼女も“信じる”ということがテーマのキャラクター。

信頼(トラスト)と真実(トゥルース)――そのキャッチコピーに相応しい主人公たち七人は、他の正田作品にはいないタイプだらけです。

表面的な口調や性格からしても、四四八、栄光、鈴子、歩美のような奴はいない。

晶と淳士はいわゆるヤンキー系だけど、滅茶苦茶優しい。こんなに優しくて純朴なヤンキー、他に書いたことがない。

そして水希……ただ一人だけとんでもなく拗らせている彼女ですが、その原因や方向性はやはり稀有。強いて言うならリザの感性を持ってしまったエレオノーレに、ベアトリスの青さを足した感じか。つまり若いので、他の仲間たちと比べて浮くというほどではない。

そんな彼らのやり取りは、とても青春活劇(ジュブナイル)しています。

俺、こんなの書けたのかよ。

「正田どうしちゃったの?」と少なくない数の読者様が言っており、仲間たちの関係性については高評価をいただいております。付け加えると、「ちゃんとしたかっこいい親」がいる点も神座シリーズとは違っていて、そこが好きだという意見も多かった。

よってここまではいい。

だが、作品全体として見た場合はどうか。

はっきり言って、ひどいもんです。

あまりに私情が混ざりすぎててうんざりする。

もはや怨念じみているほど世間に対する怒りを書き殴っており、隠そうともしていない。

八命陣を書いているときの自分は、確実に病んでいます。かなり危ないところまでいっています。

私情が作中に表出することはそれまでも多少ありましたが、ディエスで大挫折を経験した直後でも、ここまで歪んだ思いを垂れ流すことはなかったのに。

まさに「正田どうしちゃったの?」です。

仲間キャラの関係に対する「どうしちゃったの?」と違い、これについては大いに読者様を困惑させ、不快にさせ、痛烈に批判されました。

そりゃそうでしょう。完全に喧嘩売ってるもの、俺。

いったい何が気に入らなかったのか。当時を思い返しても、プライベートに特別な不幸があったわけではありません。むしろ充実した時期であり、我が事ながら首をひねる病みっぷり。

あるいは、逆にそのせいか?

そこそこ結果を出して、まわりも褒めてくれていたからこそ、数字の上で勝てないライバルたちに対する嫉妬や劣等感が肥大していったのかもしれません。

ああ、思い出した。きっとあれだ。

CG枚数とかシナリオボリュームとか、そういう製作コストの面では自分の半分程度な作品に、売り上げのアベレージはトリプルスコアくらいで負けているのを自覚したからだ。

それが自分には書けない萌え萌え系だったからだ。

クソが死ね! こんなもんを褒めてる奴らも死ね!

なんという惨めな負け犬。傲慢な思い上がり。

自分のほうが優れているんだと叫びながら、足りないものを持っている人たちが羨ましくて仕方ない。

くれよ、それ。俺のほうが上手く使える。

だって俺のほうが、俺のほうが、俺のほうが天才なんだもん!

こうして柊聖十郎が生まれました。

神野、甘粕、そして水希の業も含め、八命陣に存在する毒や歪みはすべて聖十郎から派生しています。だから物語的にも、聖十郎が元凶です。

というか、作中で聖十郎を認めたり否定したり嘲ったりすることで、セルフカウンセリングをしていたのかな。

なんにしろ私情ですね。まったく褒められたものじゃありません。

でも読み返してて感じるのは、聖十郎から迸っている熱の凄さ。言ったように怨念で、それは作品全体を蝕む毒になっているけど、裏を返せばそこまでのパワーがある。

二度とやってはいけない禁じ手。作家として恥ずべき黒歴史の具現でありつつ、聖十郎の闇はディエスの各キャラを凌駕している。こいつが関わるエピソードだけでも、ディエスの総軍にわりと肉迫できている。

善し悪しはともかく、とんでもないなと。

八命陣で噴出した自分の劣等感からくる説教くさい作風は、以降長く尾を引くことになります。

しかし聖十郎を生んだという経験は、無駄にしちゃいけないと改めて思いました。

・万仙陣

前述した聖十郎、ひいては八命陣の歪みをいくらか冷静な目で見られるようになっています。

だから彼を踏襲しつつも違う価値観の南天を生み、信明という八命陣で大いに割を食った少年が、彼女を救う結末へ至っている。

これはパラロスの項で言ったノウとアストの関係、「有能な悪役ヒロインを無能だけど善良な男が光落ちさせる」構図で、さらに完成度が高いです。過去作を読み返していく中で、自分の成長を如実に実感できた部分。

相変わらず全体的に説教くさいし、読者の皆さんもうんざりしているところが多いものの、南天のキャラ性や信明の頑張りは高く評価していただきました。

あと、個人的に気に入っているのはメインヒロインの静乃。

彼女が黄錦龍を倒すためにもう一人の自分と戦うシーンは正直泣けました。

「どうでもいいから、関係ないから、面白可笑しくいじくりまわして消費する――なんてわけあるか! そんな暇人がいて堪るか! どうでもいいものなんかに、人はそこまでエネルギーをつぎ込まない!」

この台詞にちょっとした衝撃を受けたのです。当時の自分がそんな言葉を紡ぐとは。

売れてる萌え萌え系を羨み、憎み、パロって貶め、バーカバーカと唾を吐いてるのが戦神館シリーズです。

そして万仙陣は、いわゆる二次創作というものを虚仮にしまくっています。

「お幸せな日常ドラマが、何の意味も理由もなく存在するとおまえは思っていたのだろう!

よく吟味もせず勝手にそう決め付けて、好きに調子付いたことを言っていたのだろう!

馬鹿が、意味も理由もあるに決まっているではないか!

おまえごとき能無しの糞チンケな尺度で見通せるものなど何もない。

ないんだよ石神静乃――私が今度こそ現実を教えてやる。

魂ごとバラバラに粉砕してやるぞ!」

以上は南天の台詞で、およそヒロインが口にしていいものではありませんが、とにかく作品全体がそういうノリだったのです。

でも静乃は、愛しいから日常ドラマを描いたと言う。そこにふざけた気持ちは微塵もなく、本気だったと。

俺、萌え萌え系が大好きなんだよね。

今では普通に認められますが、当時の自分はもっと頑なだった。

でも、静乃に好きだからやったんだと言わせている。それがどれほど醜悪なものになったとしても、根底にあるのは愛。でなけりゃ手間暇かけてやるわけないと。

分かってるじゃん、十年前の俺。

だから八命陣のときでも、四四八と仲間たちの関係を描けたんだな。

そう思ったとき、過去の愚かな自分を許すことができたような気がします。

・インタビューウイズ・カズィクルベイ

ディエスイレがアニメ化するので、盛り上げ目的に作ったスピンオフ。

最後にディエス系の仕事をしてからだいぶ間があいていたので、リハビリも兼ねています。

結果は、うーん……まあぼちぼち原作の空気感を再現できているけれど、やはり私情由来の説教くささがある。しかも特にラストバトルで。台無しだ!

でもクラウディアは可愛いな。自分のヒロインには少なからず毒というか病んでる部分があり、クラウディアにもそういうところがあるのですけど、それがキレイな形で描かれている。

いわゆる光属性というものこそ一番やばいんだよ――みたいなことを自分はよくやってきたし、後輩の高濱もそれを得意としていたので一時のlight作品は光の魔王だらけでしたが、クラウディアは真っ当に天使ですね。物理的にも。

カップリング相手のルイやヴィルヘルムが闇属性なので大変なことになってますが、そこはまあそれ。クラウディアが悪いわけではない。

嫌味のないヒロインなのに存在感がある。というケースは自分にとって珍しく、当時は他にベアトリスくらいしかいなかったんじゃないかな。後、強いて言うなら戦神館の晶。恵理子さんはちょっと善人すぎて怖い。

なのでこの時期に万人受けするだろうヒロインを生み出せたのは大きく、そこからパンテオンのヒルメに繋がっていきます。

ああ、ヒルメ……あの子は本当に可愛いんだよ。

香純やクラウディアとめっちゃ仲良かったりします。

・黒白のアヴェスター

文章力、構成力、論理展開、キャラの完成度、これらが現状一番よくできている。

支援サイトでの執筆を始めたときにも言いましたが、立て続けに大きな挫折を経験して自分に残っているものが何かを見つめ直したとき、皆さんに対する感謝であると悟ったからこそ生まれた作品です。

失敗を重ねた悔しさや恥ずかしさはきっと生涯なくならないけど、感謝を忘れず書いていく。

そのため、八命陣から続く説教くささが消えています。消えてますよね? 

話自体はだいぶえげつない展開が続くのに、どこか爽快感があるような。救いの物語として機能していると感じました。

ゆえにマグサリオンが一番人気を取ったのでしょう。主人公がもっとも読者に支持されるというのは初めての経験で、殻を破れたと自負しています。

加え、女子キャラが総じて可愛い。先述した「嫌味がないのに存在感がある」率が高いです。真我? あいつは知らねえ。

などと自画自賛が続きましたが、あえて駄目な点を語るなら綺麗に纏まりすぎていること。

荒さがないぶん淡白で、狂おしい叫びを感じさせてくれるキャラはスィリオスしかいなかった。

ああつまり、それが問題なんだろう。

以上、七作品を振り返ってみた結果、現状筆が止まっている理由が分かったような気がします。

技術的には上達した。私怨を書き散らす悪癖も抑えられるようになった。

でも代わりに、勢いや熱を上手く表現できなくなった。

自分の強みは濃いキャラクター。

それぞれの主張や信念を鮮烈な形で描くにあたり、魂を込めるという必須の作業が今はできていない。

ではどうやって魂を込めてきたのか。

怨念なんだよ。怒りが足りない。

神座シリーズは怒りの物語なのに、正田はなんだか穏やかなおじさんになっている。

うちの猫可愛いなあと写真をとってきゃっきゃしたり、姪ちゃんがオタク化してきたので色々知られてしまい、ちゃんとしなければと日和ったりしている。

でも、だからといって再び聖十郎を生んではいけない。

正確には、あの工程を繰り返してはいけない。

理性的に、技術的に、怨念を飼い慣らして聖十郎を活用すること。

それをしようとしているのが今なんだと気付きました。

つまり産みの苦しみなのでしょう。死の苦しみではない。

なのでしばらく、申し訳ありませんがあとしばらく、自分の足掻きに付き合ってください。

熱を保ったまま聖十郎をカスタマイズし、アーディティヤのキャラたちに実装する。

必ずとは言えませんが、手本とすべきものを最近見つけました。

藤田和日郎先生の『双亡亭壊すべし』

そのラスボス、坂巻泥努。

あれもおそらく、聖十郎と似た怨念から生まれたキャラです。

にも拘わらず、悲しく、面白く、美しいです。

「たとえ拙くても、心があったかくなるような絵が好き」

坂巻泥努が敬愛する姉の言葉。彼がなかなか理解できず、認めようとしなかった言葉。

そこには、自分にとっても救いがあるように思うのです。

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Pub: 23 Aug 2024 15:39 UTC

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